ガンと暮らす四人家族
〜私と娘の闘病記〜
甲状腺がん

甲状腺全摘出手術までの長い1ヶ月

甲状腺がん手術までのとても長い1ヶ月

しこり 小児がん

病名がわかってから手術の日まで、ちょうど1ヶ月程だった。

結実が楽しみにしていた幼稚園最後の行事のため、こちらからお願いして決めた手術日だったが、
甲状腺乳頭がんは比較的ゆっくり進行する、と頭ではわかっていても、取り返しのつかない事になったらどうしようか、と心配ではあった。

大好きな幼稚園の最後の行事に参加させてあげたい

 

年少さんで入った幼稚園、最初の頃は登園すると泣いて大変だった。
結構長い期間、泣いていたように思う。
他の子は全然泣かなくなっていて、なんでうちの子だけ泣いてるの?と思った記憶がある。

段々慣れていって、年中さんになる頃には幼稚園は大好きな場所になった。

年長さんで鼓笛があって、夏の間に一生懸命練習した太鼓で、カッコいい姿を見せてくれた。

色んな思い出が詰まった幼稚園。

年末から通院等で休むことが増えて、楽しみにしていた行事に出られない事もあった。

経過次第では卒園式さえどうなるかわからない。

せめて…と思い、その行事に参加したが、
とても良い笑顔で帰ってきたので、参加することができて本当に良かったなと思った。

 

いつもなら1ヶ月なんて、あっと言う間なのに…

 

いつもだったら、あっという間に過ぎる1ヶ月。

赤ちゃんがいて、毎日結実を幼稚園へ送り、週に1回は自分自身の通院があって…
こんなに忙しいと、いつも以上に過ぎるのが早そうなものなのに、この1ヶ月だけは時間の流れがノロノロと遅く感じた。

義母と会う度、
「まだあれから(病名がわかってから)◯日しか経たないね。」
と言い合った。

私には亡くなった母がいるので、きっといつもどこからか見守ってくれているのだろう、と思っていたが…
結実がこうなってから、
ああ、きっと母はいないのだな…と、実感するばかり。
母が見守ってくれていたら絶対助けてくれているはず。
それとも、そういう事はできないのかな?
死者にもできない事はあるんだろうか?
なんてつまらない事ばかり考えた。

この子を育てることが私の目標で、この子の成長が私の喜びであり生きる意味だったのに…

夫は、
「結実ちゃんが死んだら、俺も同じところに行くから。」
と言っていた。
それぐらい、私たち夫婦にとって結実は生きる理由だ。

この間に私の子宮頸がんもわかり、ガンで母を亡くしている身として、

私は後どれくらい生きられるのか、

せめて後6年、次女を結実ぐらいまで育てることができれば、後は夫や義父母に任せられるかな?なんて…

死と向き合うばかりの1ヶ月だった。

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